今はまだ、人生を語らず。

片側顔面痙攣との闘い、転職、そして乗り越えて今。

⑧片側顔面痙攣 通院

 

 初めての街で、

初めて行く〝脳神経外科

 

外科、、か。 ガチやな。と思ったのを覚えております。

 

最初に大きな受付で症状を説明し、診察を待ちました。

大きな専門病院で、救急受付等もある〝ガチ病院〟は初めてでした。

 

先生に会うと、久々に出ましたこの感覚。

そう、症状が出ないんです。(お医者さんの安心感すごい)

 

でも大丈夫(?)

だいぶ進行している私の顔面痙攣、

光を当てられたり、目を開け閉めさせられてるうちに本領発揮。

 

先生も、よくここまで我慢したねえ、と驚くレベル。

 

私の中で、私生活(仕事苦)の背景もあったり、

これまでの苦しんだ期間もあり最後のチャンス、と捉えていたため、

この診察の目的と答えは決めておりました。

 

これまでにも聞いたことあるような、

症状の説明を細かく聞いた後、最後に根治方法の説明…

 

はい、手術でお願いします!

 

先生も〝え!?〟といった感じでしたが、

 

散々調べて、散々苦しみました…

今更、ビビってなんかいません、治したいんです!と。

 

ここまで即決する患者は珍しい。と微笑んでおりました。

 

手術のリスクや根治の確率等も詳しく丁寧に説明頂き、

なによりもその手術を過去に何回もやってきた感がすごく、

よし、この先生に人生捧げよう!と腹くくりました。

 

手術の内容は、開頭手術。

頭蓋骨に500円玉大の穴をあけ、そこから作業をする。と

 

OKです、やってください!

 

ここまで躊躇しない患者は珍しいと。。。

 

でも、真剣なんです。真剣でした。

本当に苦しんできたんです。

 

先生、あなたが唯一の光なんです。と言わんばかりに

⑦片側顔面痙攣 転機

 

 関西に移住し、

1年程が経過した頃…

 

入社以来、激務が続いており

いつか転職したいという思いがありましたが、

なかなかタイミングも分からず、

何よりもこの顔で面接を受けることが出来ない…

という状態で停滞しておりました。

 

そんな時でした、

 

そのお店の責任者スタッフのおばちゃんが、

顔、大丈夫なん?と初めてこの顔に突っ込んできました。

 

症状のひどさは分かっていたけど、

今まで隠し隠し過ごしてきた中で、

仕事のしんどさもあり、初めてカミングアウトしました。

 

これまで、

神経内科、眼科、針治療、気孔etc

様々な分野にトライしては諦めていたこの症状に対して、

そのおばちゃんが、

この町の○○病院は脳神経外科で有名や。行き、と言うわけです。

 

当時、仕事が毎日しんどくてしんどくてどうしようもない中で、

よし、久々に病院に行ってみよう。と決意しました。

⑥片側顔面痙攣 仕事と転勤

 

 前回の記事にあるように、

就職してからもずっと、片側顔面痙攣の症状に悩まされておりました。

 

クレーム対応中も関係なくビンビンに痙攣する顔。

 

『何笑ってんの?』

『いやな顔したよね?』

 

すみません、そんなつもり無いんです。勝手に…

そんなことも多くありました。

 

アルバイトの子からはどう見られてるんだろう?

何も言ってこない上司は気づいているのかな?

 

ぱっと見でわかるおかしな痙攣、

周囲は何も言って来ないけど、

どう思われてるのか、とても気になる日々でした。

 

職業柄、転勤が多く発生しましたが、

その中でも私は毎年、転居を伴う異動を繰り返しておりました。

 

自分で言うのもアレですが、

元来、人とのコミュニケーションは得意な方で、

新しい土地に住む、といった事もわくわくするタイプで、

転勤に対する障壁は、そう

 

〝またゼロベースでこの症状を披露していかなくては…〟

 

といったストレスと不安だけでした。

 

改めて、今でもよく感じるのですが、

私が発症していたこの病、あんまり見ないんですよね。

というか、見かけたことないんです。

自分しか生で見たことないんです。

でも、すごくすごく辛いんですよね。本当に。

 

と、話を戻して…

 

転勤先で仕事が上手くいっているときは無茶しちゃうので、

まあ、いつか治るといいな程度に過ごしておりました。

 

2回目の転勤で、熊本県にいるときに多くの転機が訪れました。

 

仕事で若手ながらに1つのユニットを任されることになり、奮闘しておりました。

 

最初は上手くいっていたもののの、会社の不振と、自身のキャパオーバーが相まって、

うつ病状態に陥ったことがあります。

(正式な診断は受けてないですが、あれはうつ病だったと思います)

そして、追い打ちをかけるように熊本の大震災、

いろいろな状況が重なり、関西に異動することとなりました。

 

初めての関西で、

それまでのモヤモヤが少しずつ吹き飛び、

もう一度社会人生活やってやるぞ!という希望に満ちあふれておりました。

⑤片側顔面痙攣 就職

 

 コロナ禍における仕事内容の変化で、

しばらく更新が途絶えてしまいました…。

 

さて、ボトックス注射でなんとか誤魔化しながら、

日々の生活を送っていた当時、就職活動真っ只中。

 

医学的には証明されてないことが多いこの症状、、

何の根拠もないですが、なんとなく体感では、

 

・緊張状態にあるとき

・人前で話をするとき

 

等、就職活動では致命的なタイミングで、

その症状が頻発するような感じでした。

 

絶望感の中就職活動を行い、

 

なんとか志望する企業の内定を取ることが出来ました。

 

面接中に不自然に顔に触れたり、

不本意ではありますが、あくびを誤魔化すようなそぶりで、

文字通り誤魔化しながらなんとかクリアすることが出来ました。

 

就職先は某飲食チェーンのマネジャー業務。

 

多くのお客様やアルバイトスタッフと触れ合う機会が非常に多い業種。

(よくもまあそんな職業ばかり選ぶな…と、好きなんでしょう。)

 

この時で22歳、発症から3-4年が経過しておりました。

 

仕事をする中で、この時も

 

〝顔の痙攣さえんければ、もっと出来るのに…〟

 

と24時間365日、常に悩んでおりました。

④片側顔面痙攣 ボトックス注射

 

 就活を機に、初めて行ったのは博多駅前の神経内科

 

病院の先生からの問診で、いつからなったのか、どんなときにおこる、

等と様々なお話をしたのですが、これが不思議で、肝心な時に痙攣しない(笑)

 

医学的な根拠からすると違うのかもしれませんが、

私個人としては、緊張やストレスは少なからず症状に出るように感じます。

 

この後の闘病中も続くのですが、

不思議とお医者さんの前では安心しているのか、症状がなかなか出ず、

幾度も光を当てられたり、瞼の開け閉めをさせられた記憶があります。

 

なんとか(?)症状も発生し、先生が開口一番に

『どうしてもっと早く来なかったかなー!』と残念そうに。

 

この病気に関して、早い遅いがどうなるのかは別として、

やはりどんな症状でも早く医者に診てもらうという事は、

治療の選択肢も増えるし、症状の悪化も防げるし、大事だなと回想してます。

 

いろいろと話をした後、その日は痙攣を抑える薬を頂き帰宅。

 

当時、症状がだいぶ進行していた私は、ようやくこの病気で初めての希望。

ひとつ薬を頂くだけで希望が芽生えました。

 

しかし、飲んでも飲んでも一切症状は変わらず、そりゃそうだよな、と。

 

初診の際に説明頂いた注射にトライする事を決意。

 

説明時には黄色だったか色のついた説明書にサインをしたのを覚えております。

 

この注射は顔の筋肉に少量の毒素(薄めたもの)を注射し、

筋肉を麻痺させることにより痙攣の発生を抑えるというもので、

効果は個人差があり一度の注射で3-4ヵ月程効果があるといった感じです。

あくまでも抑えるだけで、根治(完治)が期待できるものではありません。

 

当時は常に痙攣に悩む就活生。

なんとしてでも、という思いで注射にトライしました。

費用は保険適用で1万6千円程…少し高額ですが、

私たち、痙攣している本人にとっては、これで収まるなら!!!

と希望を込めて悩むほどの金額ではありません。

 

極細の針で、目元や頬に数カ所注射を行い、

気分が悪くなったり、特別な痛みもない注射です。

 

注射後、日を追うごとに症状が軽くなりました。

 

久々の顔の状態に、嬉しさと開放感と喜びと…

映画:ショーシャンクの空に、の脱獄後のような感動でした。

 

しかし、先に書いたように…

 

この治療は根治を目指したものではなく、

またすぐに症状が帰ってくるものなのです。

 

 

③片側顔面痙攣の進行ー2

 

 就職活動への不安は計り知れないものがありました。

 

私は両親共働きのサラリーマン家庭で育ち、大学生活のゴールは当然、

就職が決まって卒業する、というのが当然の考えでした。

 

当時、就職活動は大学3年の11月、12月くらいに解禁になり、

一斉に就職活動をスタートするというのが主流の時代。

今でこそSNS他、様々な就活スタイルが存在しているが、

当時はまだまだオーソドックススタイルの就職活動、

所謂、会社説明会エントリーシートー面接ー内定が殆どでした。

 

その頃には私の片側顔面痙攣もだいぶ進行しており、

基本手で左目やおでこをいじるようにして顔を半分隠しながら会話をしたり、

マスクを常用する日々を送っておりました。

 

就職を決めなければいけないというプレッシャーと、

この顔面で面接なんか受けれない・受からない、とストレス満点でした。

 

この時期もインターネット上を顔面痙攣というキーワードで漁り、

『注射』・『手術』という手法にたどり着きました。

 

当時の私には、手術なんて怖い選択肢はまずなく、

『注射』…かあ、といった感じでした。

 

しばらく悩んだ末に、就活の焦りが背中を押して、

始めてこの症状で病院を受診する事を決意しました。

 

当時、検索していた中で知り得たことは、『神経内科』でできる、という事でした。

 

 

②片側顔面痙攣の進行

 

 片側顔面痙攣を発症し、大学2年3年と痙攣は酷くなる一方でした。

 

人と会話をする時は、良くて顔がぴくつく…

酷いときは目元から口元にかけて顔が斜め下に引っ張られた状態で固まり、

勝手に目が閉じてしまう状態にまでなりました。

 

日々の暮らしの中で、そして人生において最大のコンプレックスとして

私の片側顔面痙攣は完全にマイナスのものとして確立しておりました。

 

次第に伊達めがねをかけるようになり、

鏡を見ながら少しでも誤魔化す工夫をしていたのを思いだします。

 

ケータイの動画や写真で自身の顔を撮影して見てみたりもしました。

 

『いつか収まるのか、このまま人生この症状続くのか…』

 

『年を取ったら筋力などが落ちて、痙攣も落ち着くのか…』

 

等、常に考えておりました。

 

当時はFBやTwitterの第一次(二次)繁栄期?で、

様々な検索を行い、同様の症状の人を探し回りました。

 

当時はまだまだ情報量が少なく、毎度調べるだけで行動は起こしていませんでした。

 

プライベートへの影響は大きいものの、当時は華の大学生活真っ只中。

極端に言うとやりたい事をやりたいだけやっていれば良かったので、

日々の生活は毎日愉しくて仕方ない、といった感じで、

症状は酷い中、誤魔化し誤魔化し生活に励んでおりました。

 

一つ目の転機、そう就職活動です。

 

こんな顔で、面接とか行けるわけない…不安で仕方なかったのを覚えてます。